練習報告
みのりの時間 ※Die nachtigall(Mendelssohn)
心象スケッチ全曲
この日の練習は、基本の発声練習の後、「みのりの時間」で始まりました。
前回から引き続き、詞の意味を考えて、情景をイメージして表現するという練習をしていきます。
ただし、ドイツ語。Mendelssohn の “die Nachtigall” での実践です。
die Nachtigall とは、サヨナキドリですが、実際にこの鳥を見たことはありません。
小さいのか大きいのか?猛禽類みたいに強そうなのか?どんな鳴き声なのか?ふっさふさなのかシュッとしてるのか?
イメージを膨らませていきます。
「たぶん、可愛い感じだよね?じゃ、そんな風に歌おう」
次に歌詞に目を向けていきます。この曲、歌詞はとても短いのです。
『サヨナキドリは春に誘い出されて来たというのに、新しい事を何も学ばすに、古い恋の歌を歌ってばかりだ』
大意はこんな所でしょうか。
逐語訳の解説は過去に何度かされていますし、もちろん個人的にも細かく辞書で調べてはいるわけですが、単に意味を知っているだけ、大まかに意味を知っているというだけではそろそろ足りません。
その言語に合わせた歌うイメージをつけていきます。
日本語と違って、日常的に使わない外国語は、ちゃんと単語や文節を意識して練習する必要があります。
逐語訳を念頭におき、単語を適切に処理していく意識をしながら、「テーマ」フレーズを全員で歌ってみて、
個々人で不揃いだった部分をスッキリとさせました。
さらに、同じ歌詞で様々に変わる音形パターンに対して、どう表現を変えていくのか?同じことが続くなら1回目と2回目は同じで良いのか?
先行した女声のマネっ子をして歌う練習や、人が歌ったのを聞いてどういうイメージで歌ったかを当てるワークショップなどを行いました。
個人的な練習のハイライトは、この曲の中盤でした。和声のパターンが変わります。
「臨時記号が出てくるってことは、特別な事が起こってるの。何か心が動いたからそうしてるの。」
これは以前から「みのりの時間」で何度か登場している教えですが、今日はもう少し踏み込みます。
その「心を動かしているもの」とは何か?というアプローチをする為、改めて大意に目を向けていきます。「何も学ばずに、古い恋の歌を・・・」そのココロは?
「何回振られても同じ告白のやり方しかしない人っているやん?」
「毎回エライ目に合うくせに、同じタイプの人ばっかりと付き合う人とか?」
これには、とても練習場が沸きましたが、皆さん、頭の中で誰かを思い浮かべたりしたんでしょうかね(笑)
これでイメージはバッチリでしょう。
そして、どの単語の時に臨時記号が出てきているか。どういう音の動きなのか。
「心の動き」を表現するために作曲家が何を書いているのか?そういう事を細かく見ていきます。
このような緻密なプロセスを経て歌い直すと、歌い手の実感としても「音が変わった」と感じることができます。
でも、最終的な解釈はまだ提示されません。まずは自分のイメージ・感じたままを表現して歌ってみるところまでです。
自然とどこかに寄っていくのか、はたまた指揮者から提示があるのか、それはこれからのお楽しみといった所でしょうか。
「みのりの時間」の後はいよいよ指揮者の石原さんによる練習です。
この日は、「心象スケッチ」(高田三郎)を全曲、みっちりとやりました。
まず、練習の冒頭に、『「みのりの時間」でトレーニングしてきた事』を活かすようにと激が飛ばされます。
すなわち、日本語の詩をちゃんと読み取って、自分のイメージをしっかり持って歌う。表現する。
さて、この曲集は創団当初から練習を続けて来たこともあり、割とゆとりを持って歌うことができるレパートリーです。
音は取れていて、楽譜にかじりつきではなく歌えるようになってきている。
こうなると、石原さんの指揮の細かいニュアンスを見て感じて、それをどのように自分が表現するかということにトライできるようになって来ます。
指揮に呼応しきれなかった箇所には丁寧に指摘がはいります。
1曲目の冒頭から少し行ったところ「紅くひかって」という言葉の表現について、緻密な表現への指摘が入りました。
促音の処理。口の開け方。声の向かっていく方向性。細かい所にこだわっていきます。
言葉で指摘を受けてから、あらためて集中して指揮を見つめていると、指摘にあった細かいニュアンスが指揮に織り込まれている事を感じられてきます。
まだ、指揮で示されていることのすべてを表現しきれていない事がもどかしい・・・。
ここ数回の練習で強く思ったことは、「自分の表現したいイメージ」をきちんと持っていれば、他者や指揮者の表現したいイメージをより感じ取りやすくなるということです。
楽譜を読み込み、個人練習もきちんとしてきてして「自分から何かをしようとする」からこそ、他との違いから何かを感じ取って行くことができます。
「自分のイメージする表現」
「指揮者が伝えようとしている事」
「他のパートとの関係性」
「和音・音程・ピッチへ気配り」
「身体の中の状態」
・・・などなど、歌いながら意識している事は他にもあるように思います。
楽譜を横断的に見ながら、見て聞いて感じて、出しすぎず引きすぎず・・・
合唱って内面的にはものすごくアスリート的だなと思います。
そういう事を感じて考えながら歌えるようになってきているということ。
まだまだ荒削りなのでしょうが、「心象スケッチ」では1年半程前とbefore/afterを比較すると、確実に進歩してきたという実感が持てますね。
そして、今回の練習の終盤には、嬉しいことがありました。
「心象スケッチ」の最後の音がものすごくハモったのです。ビリビリ来ました。
「おぉ!練習してきた甲斐があったね」
実感的にも手応えがありましたが、指揮者からもお褒めのお言葉が。
こういった手応えがある事が部分ではなく、全曲を通しても褒められたものになれるよう、これからも精進したいものです。
あっという間の3時間。
密度の濃い練習は楽しく、そして、早く過ぎてしまいますね。
(by テノール きったん)